3度の余命宣告から立ち上がれた理由
僕は余命宣告を3度受けました。
1度目は末期の悪性腫瘍が見つかったとき、2度目は再発が見つかったとき、3度目は再発の治療中トイレに行こうとして意識を失い頭から床に倒れて脳出血を起こしたときです。
僕はもともとポジティブな性格ではありますが、それでも3度とも絶望は感じました。
しかし絶望する時間はかなり短く、普通の人に比べて絶望の程度も軽かったんじゃないかと思います。
その証拠に医師や看護師から、あまりに普通過ぎて逆に心配されたほどです。
なぜ絶望の時間が短く、程度が軽くすんだのかを分析したところ、思考を変換するのがコツだと分かりました。
そこで今回は何かに絶望した際、立ち上がるための方法をお伝えします。
病気に対してのみでなく、仕事や恋愛、人間関係、金銭問題などあらゆる状況に応用できる方法となっています。
この方法を知れば人生がかなりイージーモードになります。
結論からお話すると、以下の2つの質問を自分自身に投げかけます。
質問1 ○○になってよかったことは?
○○の部分をそれぞれの状況に応じて変えてください。
今回は病気を例にとって説明していきます。
「病気になって良かったことなんてあるわけないだろ!」とほとんどの方は思います。
ですがどんなに絶望的な状況も何か意味があります。
その意味を見出すことができれば、絶望が希望に代わります。
初めはひとつも見つからないと思います。
しかし質問があると、脳は答えを見つけ出そうとします。
答えが見つからなくても諦めず、無理に絞り出してでも書き出そうとしてください。
物事には二面性があります。
あなたの今までの人生を振り返っても、大変だと思った事が、結果的に良い出来事だったという経験があるはずです。
例えば受験で第一志望の学校に行けなかったが、そのことで素晴らしい友人や恋人、先生に出会えたなどです。
人生に起こることにはすべて意味があります。
病気もそうです。
参考までの僕がどのように考えたか列記します。
- 多忙な毎日から解放される
- 人生を見直す時間ができる
- 家族と向き合う時間ができる
- 疎遠だった人たちと繋がれる
- 病人の気持ちが理解できるようになる
- 健康のありがたさを感じられる
- 何物にも代えがたい経験ができる
- 本や講演するネタができる
- 自然の美しさを感じられる
- 今まで取り組めなかった趣味に没頭できる
などです。
すぐには答えが出てこないと思います。
毎日5分でもいいので質問を紙に書き出し、無理にでも書き出そうとしてください。
この際、パソコンやスマホではなく、紙に書き出すようにしてください。
書こうとすることで脳は刺激を受けます。
その結果、自分では気付いていなかった考えが、潜在意識から浮かび上がりやすくなります。
質問2 ○○にならなかったら困ったことは?
質問1と問うている本質は同じですが、角度を変えた質問となっています。
質問1で答えが書き出せなくても、質問2によって書き出せることも多いです。
はじめは「病気になんてならないに越したことはない。病気になって困ることはあっても、病気にならなかったら困るようなことがあるわけないだろ!」と思うでしょう。
そこで思考を止めてしまっては、絶望から立ち上がることは難しいです。
これも具体例があった方がイメージしやすいと思うので、僕の回答を列記します。
- 家族との絆を失っていたかもしれない
- 辛い毎日を一生送らなければならなかった
- 立ち止まって人生を見つめ直す余裕が生まれなかった
- 手術中に突然意識を失って患者さんに危害を加えていたかもしれない
- 車の運転中意識を失って誰かを巻き込んでいたかもしれない
- 人の痛みが分からない人間のままだった
- 感謝できない人間になっていた
- 家族や友人のありがたみを知れなかった
- 生きる意味を理解できなかった
- 恐怖を克服できなかった
などです。
「無理やりだなぁ」と思えるものもあるでしょうが、最初はそれでいいです。
まずは無理やりにでも捉え方を変えることで、目の前の現実が違って見えてきます。
よくある例えですが、コップに水が半分しか入っていないと思うか、半分も入っていいると思うかで心持は大きく変わります。
日々患者さんと接していてもこのような思考の大切さを感じます。
同じケガや病気をしても「これぐらいで済んで良かった!」と思う人は回復が早いですが、「こんなひどい目に合って最悪だ・・・」と思う人は治りが悪いです。
すべてはあなたの捉え方次第です!
今回ご紹介した質問法はあらゆる場面で使えるので、困った状況や辛い状況になったらぜひ実行してください。
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