はじめに
何か不測の事態に直面した時に狼狽するのは、心の備えができていないことが原因です。
日ごろから心の備えができていれば、いざという時に慌てず冷静に受け止め対処できます。
僕が余命1カ月と宣告されても、心が乱れることなく受容することができたのは、日ごろから心の備えをしていたからです。
この記事を読めば、あなたの身に何が起こったとしても冷静に対処できるようになります。
自分事として考えるクセをつける
僕は余命1カ月と宣告されたとき、自分でも驚くほど冷静なことを不思議に感じました。
多くの患者さんと接するなかで、普段はとてもメンタルが強い人が余命宣告を受けて狼狽する姿をたくさん見てきました。
自分が余命宣告された際どうなるかは、その状況になってみないと分からないと思っていました。
きっと余命宣告されたら少なからず狼狽するんだろうなと思っていただけに、冷静でいられる理由が気になりました。
理由を色々考えた結果、普段から自分事として考えるクセがあったからだと気付きました。
僕は職業柄ケガや病気によって、ある日突然命を失ったり、重度の障害をもつことになる人をたくさん見てきました。
その度に
「自分や自分の身の回りの人にも同じことがいつ起こってもおかしくないんだ」
と思っていました。
あなたはきっと
「人が目の前で命を失ったり障害をもつようになることは滅多にないよ!」
と思われたでしょう。
しかし直面することはなくても、想像力をもつことで同じような思考訓練はできます。
例えばニュースやドキュメンタリーなどを見た際に、
「自分にも同じことが起こるかもしれない。その時自分だったらどう考えどう行動するだろうか?」
と自分に問いかけるのです。
自問することで、想像力のスイッチが入ります。
脳は想像したことと現実に起こったことの区別が苦手です。
想像したことも実際に起こったことのように判断し、経験として記憶されます。
慣れてくると、小説や漫画などのノンフィクションであっても、自問し経験として記憶させられるようになります。
さすがに直面した際のインパクトには及びませんが、
「自分が同じような事態に陥ったらどうするか」
と考えるきっかけにはなります。
その結果、実際に自分が同じような状況に陥ったとしても
「ついに自分の番が回ってきたか。いつかはくると覚悟はしていた。今まで何度もこのような状況は想像してきた。だからそれほど驚きもしないし、恐れや不安も感じずにすんでいる。あとは今までシミュレーションしてきたように対処すればいいだけだ。」
と考えられます。
実際僕も想像していたことで、余命宣告を冷静に受け止め対処できました。
はじめはなかなか自分事として捉えられないと思います。
しかし繰り返し自分事として捉えようと意識することで、徐々にできるようになります。
何も失うものはないと気付く
もうひとつのコツとして、何も失うものはないという心構えをもつ方法があります。
武士は毎朝自分が死ぬところを想像し、死人になってから1日を開始していたといいます。
そうすることで、死への恐怖を払拭し、何も失うものはないと思えるようになり、いざという時に狼狽せず行動できたそうです。
今日1日が本来なかったものだと思えれば、生きているだけで幸福に思えます。
今の日本は医療が発達し安全が確保され、死を意識しにくくなっています。
その結果、死というものが遠い存在になり、必要以上に恐ろしいものと感じさせてしまっています。
僕自身、余命宣告されてからの人生は本来なかったものだと思っているので、怖いものがなくなっています。
狼狽するのは失うことへの不安や恐怖を感じるからです。
生まれてきたこと自体がおまけのようなものだと思えば、すべて無くて当たり前だと思えます。
命でさえもです。
さいごに
何事も日ごろからの備えが緊急時には役立つものです。
人の心も同様です。
備えあれば患いなし
怖いものから目をそらさずしっかりと向き合うことで、不測の事態に備えましょう。
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