はじめに
僕は医師でありながら末期の悪性腫瘍を患い余命1カ月と宣告された経験があります。
幸い奇跡的に生還することができましたが、その後も再発し余命3カ月と宣告されたり、再発治療中に脳出血を起こし生死の境をさまよったりしました。
このような経験があるので、普通の医師よりも終末期に関しては深い理解があると自負しています。
そこで今回は医師として、患者としての立場から、終末期をより良く生きるための考えについてお話したいと思います。
この記事は終末期をより良く生きるためのヒントになればと思い書かせていただきます。
僕の意見をきっかけに、あなた自身の終末期をどのように過ごすかを考えていただければと思います。
終末期は人生の終点に向けた集大成の時期
終末期とは老衰や病気(ガンなどの悪性腫瘍、心臓・肺・腎臓・脳神経などの重要臓器の病気)の進行によって、あらゆる医療の効果が得られず、余命が数ヶ月以内と判断された後の時期をいいます。
僕はこの終末期という言葉が好きではありません。
終末という言葉にネガティブなものを感じるからです。
終末は英語のターミナルterminalを日本語訳したものです。
terminalは終点という意味があります。
終末よりも人生の終点の方が表現としては好きです。
終末期と聞くと人生が終わっていくイメージですが、人生の終点と聞くと人生の集大成というイメージになります。
そこでここからは終末期ではなくターミナル期と言わせてもらいます。
ターミナル期の期間は人それぞれです。
医師から余命を伝えられたとしても、それは医師の主観でしかありません。経験則でなんとなく伝えているだけで、何の根拠もないのです。
伝えられた余命よりずっと長く生きる人もいれば、短命になる人もいます。
一般的に医師は余命を短めに伝えます。
なぜならば短めに伝えておいた方が、本人も家族もお別れに向けて心の準備や身辺整理を早めに行いやすいですし、余命よりも長く生きられた方が救われた気持ちになるからです。
逆に宣告された余命よりも短かった場合は、やり残しや後悔、ショックが生まれます。
余命1カ月と宣告されたことがある僕の考えとしては、余命宣告という言霊には呪いのようなとてつもなく大きな力があります。余命宣告されたことで無意識にその時期に向けて自分の命をカウントダウンさせてしまいます。
余命宣告された期間を意識しすぎず過ごすことが重要です。
余命宣告されても
「先生は自分の経験則でなんとなく3カ月と言っているけど、どうせ短めに見積もっているんだ。実際はもっと長く生きられるはずだ。自分の場合は半年、1年と生きられるかもしれない。残された人生の終点であるターミナル期を人生の集大成の時期と考え、やるべきことをやって有終の美を飾ろう」
というように、絶望せず前向きに考えられるようになります。
残された時間を落ち込んで無為に過ごすのはもったいないことです。
ターミナル期の1日はそれまでの人生の1カ月の価値があります。
一瞬たりとも無駄にせず、瞬間瞬間を一所懸命に生ききりましょう。
気持ちを前向きに切り替えられない方はこちらの記事を参考にしてください。
マズロー欲求5段階説
ターミナル期を理解するために、まず人間の根源的欲求について知る必要があります。
心理学者のマズローが提唱した欲求5段階説というものがあります。
- 生理的欲求:人は生きるために最低限必要な水分や食料の確保などの生理的欲求をまず満たそうとします。衣食住の食にあたります。
- 安全の欲求:生理的欲求が満たされると、身の安全を確保するために危険がない状態に身を置こうとします。衣食住の住がこれにあたります。
- 社会的欲求:①②が満たされると、人とのつながりを求めだします。友達や恋人、家族を求める段階です。
- 承認欲求:①~③が満たされると、自分の存在価値を自分で承認したいという承認欲求が生まれます。若い世代がSNSで承認欲求を満たす行動をとることから、承認欲求が悪いことのようにされています。確かにSNSのように周囲からの承認によって承認欲求を満たそうとする間違った行為です。しかし自分自身で承認欲求を満たそうとすることはプラスに働きます。自分の存在を承認するために成長しようという動機が生まれ、仕事や勉強、スポーツ、芸術などに打ち込むモチベーションになるからです。ただし親や上司、恋人など周りの人からの評価によって承認欲求を満たそうとするのは間違いです。いつまでたっても承認欲求が満たされず、頑張り続けなければならなくなり、心身ともにボロボロになってしまいます。承認欲求は自分自身の成長を実感することで満たさないといけません。
- 自己実現欲求:承認欲求が満たされた先にある最終段階が自己実現欲求です。なりたい理想の自分になりたいと思う段階です。自己実現欲求という言葉が示すように、「○○さんみないになりたい」というように憧れの存在目指してはダメです。自分の内側から湧き上がる欲求が自己実現欲求です。それは「お金持ちになりたい」などの俗物的な欲求ではなく、自分がこの世に生まれてきた使命だと感じられるほど高尚なものです。イエス・キリストが命をかけてまでも教えを広めたモチベーションこそ自己実現欲求です。イエス様ほど大それたものではなくても、自分が生きた証を残したいと誰もが思うはずです。その証にしたいものこそ自己実現欲求で満たすべきものです。
ターミナル期においてもマズロー欲求5段階説は当てはまります。
むしろターミナル期こそ明瞭になると言えるでしょう。
①②に関しては満たされることは残念ながらありません。
それだけに③~⑤への欲求がより強まります。
ターミナル期における③~⑤についてそれぞれ詳しく説明します。
③社会的欲求
ターミナル期においてまずはじめに強く表れる欲求が社会的欲求です。
この世から自分がいなくなることが分かると、言いようのない孤独感、虚無感に襲われます。
自分だけが世界から取り残されたような感覚です。
自分がいなくなったとしても、世界は普通に回り続けると思うと、とても寂しい気分になります。
寂しいでは表現しきれないです。今まで感じたことがないほどの孤独感です。
すると人との繋がりを強く求め始めます。
そのことによって今まで疎遠だった親族や友人のことが気になり始めます。このような気持ちになるのはターミナルだからです。
気になる人がいるのであればぜひ連絡をとってください!
そのことで長年のわだかまりが溶けたりします。人生の集大成のターミナル期だからこそできることです。
また当たり前のようにそばにいてくれた家族や友人への感謝が溢れてきます。今まで当たり前にいてくれたので感謝を伝えたことがなかった家族や友人に対して、素直に感謝の気持ちを伝えましょう。
④承認欲求
できることが日々減っていき、自己重要感が低くなっていくのがターミナル期です。
「自分では何もできない」「自分は周りに迷惑をかけるだけの邪魔な存在だ」と思うようになってきます。
その反動で、自分は価値がある人間だと思いたいという欲求が生まれてきます。
この欲求をプラスに使いましょう。
ターミナル期において承認欲求を満たすためすることは、大それたことである必要はありません。
できるだけ周りに依存せず、自分でできることは自分でやること
これだけで承認欲求は満たされていきます。
例えば
人に迷惑かけることなく自力で着替えることができた!
というだけでも、「周りに迷惑をかけなかった」、「やればできるんだ」という充実感、達成感を得られます。
そのことがまたモチベーションになり、機能を維持していくことに繋がります。その姿は家族や友人の心に何よりもの遺産として残っていきます。
⑤自己実現欲求
誰しもが心のなかに理想の自分像があります。
ここでいう理想像とは、お金や物といった低俗なものではなく、理想的な人間像のことを指します。
人生とは理想の自分像と実際の自分とのギャップを埋めるものだと言えます。
ターミナル期はギャップを埋めるラストスパートの時期です。
ターミナル期の人に残された時間は限られています。それだけに濃密な時間が流れています。
例えば試験に向けての勉強であれば、試験2カ月前ではまだまだ時間があると思って勉強に注力できませんが、1週間前でれば集中力がグッと増し、1分1秒が惜しく感じるものです。1週間前の勉強の成果が点数にかなり反映されています。
人生すべてにおいて同じことが言えます。
まだまだ時間があると思っているうちは漠然と過ごしてしまいますが、残りの時間がわずかだと思うと1分1秒を大切に使い、目標に向けて一気に加速することができます。
ターミナル期は人生の目標に向けて一気に加速できる時期です。
人間の最高次元の欲求である自己実現欲求を目指すことで、ターミナル期をより良く生きることができます。
さいごに
ターミナル期を与えられるのは一部の人間だけです。
急な事故や病気で急死した人にはターミナル期が与えられず、人生を急に終わらされてしまいます。
ターミナル期を与えられたことにまずは感謝しましょう。
ターミナル期は死を待つだけの辛い孤独な時間ではありません。人生のラストスパート、集大成の時期です。
ターミナル期だからこそできることがあります。
今回の記事を参考に、ターミナル期をより良く生ききってください。
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