はじめに
かつての僕は人生とは辛いことの連続で、この世は辛いことに耐える修行の場なんだと思っていました。
このような考えに至ったのは幼少期の体験が大きく影響しました。
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そんな僕が、人生をは楽しく幸せに満ちたものだと考え直すきっかけになったのが、末期の悪性腫瘍を患い余命1カ月だと宣告されたことです、
今回は僕が余命宣告という経験を通して気付いた人生観を書き換え幸せに生きる方法についてお話したいと思います。
人生観
人生観とは十人十色です。
また人生観とは不変なものではなく、常に変化していくものです。
人生観は生まれ持った性格や育った環境、宗教観、人との出会い、経験などによって創られていきます。
個人によって異なる人生観ですが、国民性のようなものはあります。
例えば南の海に浮かぶ陽気な国民性の国では、楽しく過ごすことを人生観の軸にしている人が多いでしょう。
貧しく治安の悪い国であれば、生き残るためには犯罪であろうと何でもやるという人生観の人が多いはずです。
日本の場合は、人に迷惑をかけず真面目に一生懸命働くことを人生観にしている人が多いです。
日本人に多いこのような人生観は、学校教育の影響が強いです。
真面目に授業を受け、先生の言うことを守り、テストで良い点数をとることが良いとする教育を受けることで、人生自体も真面目に上司に言われることを守り業績を上げることが正解だと信じ込んでしまうわけです。
学校教育に疑問を抱き反発する人もいますがごく少数です。いわゆる不良というレッテルを貼られて排除されるため、反発することは余程の思いがないと難しいです。
僕は不良と呼ばれる子供たちこそ正常だと思います。
僕自身はその他大勢と一緒で、真面目に一生懸命を人生観の主軸において育ってしまいました。
その結果、嫌なことに耐える習慣が身に付き、人生とは辛いことに耐えるものだという誤った人生観を創り上げてしまいました。
その結果、無理に無理を重ね、しまいには末期の悪性腫瘍を患い余命1カ月と宣告されました。
病気が気付かせてくれたこと
悪性腫瘍を患い余命1カ月と宣告されたと聞くと、人生最悪の出来事のように聞こえると思います。
しかしこの経験は、人生最良の出来事でした。
病気になったことで、生まれて初めて立ち止まる機会を得ることができ、人生について考えることができたからです。
人は自分の歩んできた道を否定することができず、自分の歩んできた道は正しいと信じ、立ち止まって考えることなく生きています。
なぜならば、立ち止まって考えてしまうと、自分の人生や自分の存在を否定るすことになるからです。
余程の経験をしない限り、立ち止まって考えることはありません。そのため自分の人生が間違いだと気付くことなく生きてしまいます。
余程の経験とは、病気や大けがで命を失いかけたり、大切な人との別離したり、精神を病んだり、職を失うといったことです。
僕の場合は病気による余命宣告を受け、自分が間違った人生観をもち、間違った人生を歩んでいることを認めることができました。
余命宣告されたときに僕が最初に感じたのは安堵でした。
「これでやっと休むことができる」とホッとしました。
休むというのは仕事もそうですが、人生そのものを休めることに安堵しました。
その時はじめて人生に疲れきっていたことに気付けました。
はじめは死を受容したのですが、家族の涙を見て「生きなければ」と思い、どうすれば生きることができるのかと考え抜きました。
その結果
病気になったのは誤った人生を歩んだからであり、生きるためには人生観を書き換え正しい人生を歩み直す必要がある
という結論に至りました。
人生観を書き換えた結果、病気を克服し奇跡的に生還することができました。
僕は病気やケガ、別離、失職など人生における大変な経験は、人生を修正するためのチャンスなんだと感じています。
今、「毎日がつらい」「毎日楽しくない」「心身ともに疲れ切っている」と感じているのであれば、間違った人生観をもち、間違った人生を歩んでいる可能性が高いです。
僕のように病気になってしまう前に、勇気をもって人生観を書き換えてください。
人生観の書き換え方
人生観を書き換えるには、まず現状を認識する必要があります。
今、あなたの人生は楽しく幸せに満ちていますか?
この質問に「はい」と答えられるのであれば、人生観を書き換える必要はありません。
今のまま楽しく幸せな人生を歩んでください。
もし「いいえ」と答えたのであれば、人生観を書き換える必要があります。
次に答えてほしい質問は
なぜ「はい」と答えられなかったのですか?
です。
そこに答えがあります。
- 仕事が嫌いだから
- 職場に嫌いな人がいるから
- 自由な時間がないから
- 家族との仲がうまくいっていないから
など色々あると思います。
おそらくあなたは楽しく幸せに生きられない理由を、仕方ないことだと受け入れているんだと思います。
しかし受け入れてはいけません!
不条理な現実を受け入れてしまうことこそ、多くの日本人が教育によって刷り込まれた誤った人生観であり、日本人の幸福度が低い原因なのです。
学校教育は我慢を強要し、我慢するのが当たり前という人生観を僕たちに植え付けています。
その結果、大人になっても我慢すべきだと思い生き続けてしまいます。
しかしこの考えは間違いです。
今からとても大切なことを言います。
僕が余命宣告を乗り越えたことで気付けた人生の真実です。
それは
人は楽しく幸せになるために生まれてきた
ということです。
嫌なことに耐えるために生まれたきたわけではありません。
大切なことなのでもう一度言います。
あなたは楽しく幸せになるために生まれてきたんです。
何が楽しく幸せなことなのかは人によって異なるので、あなた自身で知る必要があります。
我慢グセがついていると、何が楽しくて何が幸せなのかすら分からなくなっています。
僕もそうでした。
少しずつリハビリする必要があります。
まずは子供のころから今までのことを振り返り、好きだったことや心動かされたもの、ヒマがあるとついやってしまうこと、好きなテレビ番組、好きな映画、好きな本、好きなアニメ、好きな漫画などを最低でも100個書き出してください。
この書き出し作業をするなかで「あっ、そういえば○○が好きだったんだよな」と色々思い出してきます。
好きだったことを思い出したら、少しずつ始めてみましょう。
好きなことをする感覚を思い出すんです。
僕もこの作業で色々なことを思い出し、始めていきました。
子供のころは漫画やアニメが好きだったのに、大人になって離れていました。今は漫画やアニメを毎日のように楽しんでいます。
他にも絵を描いたり楽器を弾いたり陶芸をしたりしています。
楽しそうと思ったり少しでも興味が湧いたものは気軽に始めるのがコツです。
「ちゃんと続けなければ」と真面目グセが出ると、なかなか始めることができませんし、始めたとしても楽しむことができません。
続かなければいつ止めてのいいのです。
いい加減でも不真面目でもいいので、楽しむことを優先してください。
楽しむ時間が増えてくると、楽しくないことに時間を使うのがもったいなく感じるようになり、嫌なことや辛いことが人生から減っていきます。
もちろん生きていれば嫌なこともありますが、無理に耐えなくていいんだと思えるようになることで、軽やかに対処できるようになります。
嫌なことに対してこちらが執着しなければ、時間とともに解決して姿を消していくものです。
試しに1年前嫌だと思っていたことを思い出せますか?そのことは今も同じ状況ですか?
おそらく思い出すことすらできないでしょう。仮に思い出しても、当時ほど嫌なことではなくなっているはずです。
嫌なことなんてそんなものです。
僕から言わせると、「そのことで死ぬことはないでしょ?死なないなら大した問題じゃないよ!」って感じです。
問題とは、人生をゲームに例えると、イベントのようなものです。
敵がいなくてコースが直線のゲームじゃつまらないですよね。
人生も同じです。
何もない人生ほどつまらないものはありません。
問題に出くわしたら「イベント発生」と思うだけでも大分気持ちが軽くなります。
もうひとつ良い方法を教えますね。
嫌なことも見方を変えれば良い面が必ずあります。
このことについてはこちらの記事で詳しく説明しています↓
人生はあなたの思いひとつで楽しく幸せなものに変えることができます。
周りの人や状況を変えることはできません。問題が起こらないこともありません。
しかし捉え方は変えることは、今この瞬間からできます。
初めは難しくても毎日心がけることで習慣化します。
その結果、無意識に問題をチャンスやイベントと捉えることができるようになり、人生から嫌なことが消えていきます。
あなたが楽しく幸せな人生を歩めるよう願っています。
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