真面目に不真面目が求められる時代

真面目は本当に良いことなのか

多くの日本人は真面目に生きるよう教育されてきました。

日本では長年真面目であることが美徳とされきました。

学校教育では真面目な子供が良い子として高い評価を得ています。

しかし本当に真面目であることが良いことなのでしょうか?

確かに学校の成績や先生からの評価を上げるには、真面目であることが求められます。

真面目であることが求められるのは、扱いやすいからです。

あなたが学校の先生だったら、自分の感情や考えを持たず何でも言うことを聞く生徒と、感情表現豊かで自分の考えをしっかり持った生徒、どちらが扱いやすいか分かりますよね。

しかし学校の成績や先生からの評価を上げることにどれほど意味があるのでしょうか。

僕たちは学校の成績や先生からの評価を上げるために生まれてきたわけではありません。

このようなことを言うと

「学校の成績や先生からの評価が上がらないと将来困るじゃないか!」

という昭和の価値観から抜け出せていない人からの反論が出ると思います。

では逆に質問します。

真面目に生きて、学校の成績や先生からの評価が上がれば、将来困ることは絶対ないんですか?

そんなことはありません。

真面目に生きてさえいれば安泰だったのは昭和の時代です。

今はそんな時代ではありません。

そもそも日本の教育制度のベースとなっているのは軍隊教育です。

全員が同じ制服を着させられ、体育では行進をさせられる様は軍隊そのものです。

軍隊では自分の考えを持つことは許されず、感情をあらわにすることは悪いこととされます。

上官の命令に疑問を持たず命令を実行する人間を育てるのが軍隊です。

同じように、上司の命令に疑問を持たずに黙々と働く人間を育てるのが、日本の教育制度なのです。

この教育制度は高度成長期までは良く機能していました。

戦後復興し高度成長期に至ることができたのは、トップダウン型で会社が軍隊のように一丸となって、昼も夜もなく働き続けた結果です。

しかし時代は変わりました。

そのことに気付かず変革しなかったことで、日本の経済は失速してしまいました。

確かに日本経済が右肩上がりであった頃は、真面目に学校生活を送っていわゆる良い大学を卒業し、いわゆる一流と呼ばれる企業に入社すれば、安泰な一生が保証されていました。

このような時代では真面目に生きることがある意味正解だったでしょう。

真面目であるということは、裏を返せば自分の個性や感情を押し殺し、何でも言うことを聞く人間であるといえます。

このような真面目人間は、ロボットのように働く人間が求められていた時代には重宝されました。

無理難題に疑問を持たず、反論もせず、馬車馬のように働いてくれる人間は、企業側からすれば有難い人材でした。

しかしこのような人材が求められていたのは、高度成長期のがむしゃらに物を作って売っていれば経済的に成長できた大量生産大量消費の時代です。

今はちがいます。

かつては製造業や販売業、金融業の企業が時価総額のトップを独占していましたが、昨今はGAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft))に代表されるIT系の企業がトップを独占しています。

ITで求められるのは真面目な人間ではありません。独創性がありイノベーションを起こせる人間です。

真面目なだけでは生きていけない時代になっています。

真面目にも二種類

僕は真面目を全否定しているわけではありません。

人と接したり、物事に取り組むにあたって、真面目であることは大切です。

このような真面目と、感情や考えを押し殺す真面目とは分けて考える必要があります。

そこで僕は真面目を2つに分けて考えています。

ひとつはいわゆる馬鹿真面目です。

何も考えずただただ言われた通りに物事をこなす真面目さです。自分の頭で考えることを放棄し、感情を押し殺し、ロボットのように行動する真面目さです。

もうひとつは真剣に人と向き合い、物事に取り組む真面目さです。心の在り方の真面目さです。

僕が否定しているのは前者の馬鹿真面目の方です。

これからの時代、自分の頭で考え行動できないと、生きるのが難しくなります。

AIやロボティクスの進歩によって、ロボットのようにしか行動できない人間は不必要となっていきます。

すでにコンビニやスーパー、飲食店のレジが無人化され、雇用が機械によって奪われているのを目にしているはずです。

馬鹿真面目なだけでは仕事を見つけることが難しくなっていくでしょう。

いっぽうで後者の心の在り方の真面目さは、いくら時代が変わろうとも必要とされ続けます。

学んだり技術を習得する過程では真面目さが求められますし、プロジェクトを実行するには人と真面目に向き合う必要があります。

真面目なだけでは魅力がない

これからの時代は真面目さよりも魅力が求められる時代になると思います。

youtubeやSNSでのフォロワー数が注目を集めているのも、魅力が求められ始めている証拠です。

想像してみてください。

馬鹿真面目な人をフォローしたいと思いますか?

思いませんよね!

それよりも感情表現が豊かで、とんがった自分の意見を発信している行動が不真面目な人に魅力を感じ、フォローしますよね。

実際に馬鹿真面目に生きている人よりも行動が不真面目でフォロワーが多い人の方が、精神面でも収入面でも豊かな人生を歩んでいます。

真面目よりも不真面目がもてはやされた時代になっているわけです。

とはいえフォロワーが多い人が精神的に不真面目なわけではありません。

心の在り方はとても真面目です。

常にフォロワーの人たちと真面目に向き合い、フォロワーが喜ぶ発信を行うために真面目に考え、より良い配信をするために真面目に学んでいます。

心の在り方が不真面目では、魅力ある人間にはなれません。

不真面目なことを真面目に取り組むことで魅力的になっています。

真面目に不真面目

これこそ今の時代求められている生き方です。

ちなみに真面目に不真面目という言葉は『かいけつゾロリ』という児童書のアニメ2ndシーズンに付けられたサブタイトルです。

あなたも真面目に不真面目な生き方を目指しましょう!

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