自己肯定感の低さは長所になる!

自信を持てない原因

医師という職業についていると、ありがたいことに「凄いですね!」と言われることがあります。

しかし僕は自分のことを凄いだなんて思ったことがないので、どうリアクションをとったらいいのか分からず、いつも微妙な表情をうかべています。

謙遜しているわけではなく、本当に思うことができないんです。自分に自信が持てないのです。

これは自己肯定感の低さが原因だと自己分析できています。

【自己肯定感】

自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値存在意義肯定できる感情などを意味する語。 自己否定感情と対をなす感情とされる。

実用日本語表現辞典より引用

最近は「自己肯定感を高めよう!」という考えが流行っているようで、本屋さんにいくと「自己肯定感を高めるにはどうしたらいいか」にフォーカスした本が目につきます。

そのような本を手にとってはみましたが、しっくりきませんでした。

そもそも自己肯定感は無理に高められるものではありません。また必ずしも高める必要なないと考えています。むしろ長所にさえなります。

僕自身の経験を通して、なぜ自己肯定感の低さが長所になるのかをお伝えします。

自己肯定感の低さを生んだ青少年期

自己肯定感が低くなる主な原因は親子関係にあると言われています。

親がしつけに厳しく褒めることがないと、子供は自分に価値を感じられず、自己肯定感が低いまま成長してしまいます。

僕も親にかなり厳しく育てられました。

子供のころを思い返すと、褒められた記憶はまったくなく、怒られたり殴られたりした記憶ばかり浮かんできます。

その結果、自分に価値を見出せず、ダメな人間だと思うようになってしまいました。自己肯定感は低く、自分に自信が持てないまま思春期を迎えました。

自己肯定感が低く育った人は、大きく二つのタイプに分かれます。

それは自己肯定感を高めようと必死に頑張って生きる人と、自己肯定感の低さを受け入れて無気力に生きる人です。

自己肯定感を受け入れ無気力を通り越して無価値だと感じてしまうと、自ら命を絶つことすらあります。

それほどまでに自分に価値を感じるということは大切なことなんです。

余命宣告され気付いたこと

僕は自己肯定感を高めようと必死に頑張って生きるタイプでした。

そのことに気付いたのは末期の悪性腫瘍を患って余命宣告を受けたのがきっかけでした。

病気を克服するには、病気になった原因をつきとめ解決するしかないと思い、「なぜ病気になったのか?」と自問自答を繰り返しました。文字通り命がけで必死の思いで考え抜きました。

自問自答のすえ辿り着いた答えが、「自己肯定感を満たすために頑張り過ぎたことで病気になった」というものでした。

自分の半生を思い返すと、自己肯定感を高めようと思って必死に努力し続けてきました。

深層心理では親に認められ褒められ自己肯定感を高めようと望んでいたんだと思います。

そのことに気付くまでは、「なんで俺はこんなに必死に努力して頑張り続けるんだろう」と疑問を感じながらも、それが自分の性分だと思って受け入れていました。

自己肯定感を満たそうとする思いは、潜在意識レベルでは生存に関わるほど重要なので、とてつもないエネルギーがあります。

そのエネルギーがあったからこそ偏差値20から医学部に合格することができたんだと思います。

しかしそれでも満たされないのが自己肯定感です。念願の医学部合格を果たしても、

「自分が合格できたのはたまたま運が良かっただけで、自分の実力ではないんだ」

と思ってしまい、自己肯定感が満たされることはありませんでした。

今度は「留年することなく医師にならなければ価値がない」と考えるようになり必死に勉強し、無事に卒業して国家試験に合格したらしたで「運良く医師になれただけ」と思ってしまいました。

医師として働き始めてからも、必死に努力する日々の連続でした。「なんでこんなにも辛く苦しい人生なんだ」と感じながらも、人生とは辛く苦しいものなんだと納得していました。

幼少期、辛く苦しい毎日を過ごしていたことが影響していたんだと思います。

今思えば、自ら辛く苦しい人生を作り出していたんだと分かります。

そんな生活を送るなかで自己肯定感が満たされる瞬間がありました。

それは患者さんからの「ありがとう」の言葉です。

患者さんにありがとうと言ってもらえると自己肯定感が高まるのを感じ満たされました。

ありがとうと言ってもらうために早朝から深夜まで休みなく働きました。時には何日も家に帰らず不眠不休で倒れる限界まで働きました。

どんなに疲れていても「ありがとう」と言われたら頑張れました。

こうなると脳内は麻薬中毒者と同じ状態です。ありがとうと言われることで幸福感を感じ、効果が切れたらまたありがとうを求めて必死に頑張るといった悪循環に陥っていました。

こんな状態がいつまでも続くわけがなく、ついに病に倒れてしまいました。

自己肯定感は使い方次第

一般的には自己肯定感が低いことは良くないとされています。

しかし僕の考えでは、適度な自己肯定感の低さや無価値感は自分を高めようとする原動力になると思っています。

物事には必ず二面性があります。マイナスといわれているものでも、見方をかえることでプラスな面が見つかります。

このことは末期の悪性腫瘍を患い余命1カ月と宣告された経験を通して実感しました。

マイナスでしかないと思われがちな病気でさえプラスの面があります。

病気のおかげで人生を振り返り、大切な気付きを与えられ、より良い生を歩むきっかけを与えられました。今では病気に感謝しています。

自己肯定感の低さも一緒です。

自己肯定感を高めようと必死になるエネルギーを、勉強やスポーツ、仕事などに使えば、実力以上に成長することができます。

しかし度を越えてしまうと、オーバーヒートしてしまって体や心を壊してしまいます。

ようは使いようです。

自己肯定感は残念ながら満たされることはありません。

満たそうとすれば無間地獄に陥ってしまいます。

実際僕もいまだに自己肯定感を満たしたい欲求がしょっちゅう顔を出してきます。

しかし以前とちがって、自己肯定感と距離をおいて、客観的に観察し、コントロールできるようになりました。

今では自己肯定感を満たしたい欲求が出てくると、「あっ!また自己肯定感が出てきたな。これは幼少期の問題で作られた悪い思考の癖だから放っておこう。別に頑張らなくてもいい。このままでいい。」

と思えるようになってきました。

すぐにこうなれたわけではありません。

はじめは「頑張らなきゃ」って気持ちが次々に沸き起こって、コントロールできませんでした。

そこでまずは少しずつ怠けるようにしていきました。はじめは怠けることに罪悪感を感じ、とてもつらいんですが、徐々に慣れてきます。慣れるまでは意識的にナマケモノになる必要があります。

頑張るかわりに楽しいとや自己評価できることに時間を使うといいです。

僕の場合は、子供のころに好きだった漫画やアニメ、映画を見ることで頑張らないで楽しく過ごすを取り戻しつつ、自分自身で成長を実感できる陶芸、絵画、三線などをするようにしました。

この際大事なのは他人からの評価を求めないことです。他人からの評価が入ると、自己肯定感を求めて無間地獄に逆戻りしてしまいます。

自己肯定感は自分自身で成長を感じるもので満たしましょう。「あっ、前より上手にできた!」という感覚だけでも自己肯定感は満たせます。自分の成長を自分で感じ、自分自身で自己肯定感を高めるのです。

こうなると自己肯定感が満たされないことはメリットになります。例えば僕の場合なら、陶芸で良い作品を作れたとしても、自己肯定感を高めるために「もっと上手に作らなければ」と思うので、修行を続ける成長のエネルギーになります。

自己肯定感は無理に高めるのではなく、自己肯定感の低さを利用して成長のエネルギーにするのが、正しい自己肯定感との付き合い方です。