はじめに
僕は末期の悪性腫瘍を患い余命1カ月と宣告されました。
悪性腫瘍を患った原因は頑張りすぎにあったと確信しています。
僕はそのころ、急性期病院で整形外科医として激務をこなしていました。
終わりの見えない日々に身も心も疲れ切っていました。
当時の僕は「自分の代わりはいない」と妄信していました。
どんなに疲れていても休むことは許されないと信じ込んでいました。
それどころか
「もっと頑張らなければ」と自らを追い込んでいました。
やがて
「病気にでもなれば激務から解放されるのに」
と心の中で思うようになっていました。
その結果、悪性腫瘍を作り出してしまいました。
今思えば、もっとセーブして適度に頑張ったり、休んだりしたら良かったのにと思います。
しかしその時は頑張り続ける以外の選択肢が考えられませんでした。
働き過ぎで過労死したり自殺したりした人に対して「死ぬぐらいなら辞めちゃえばいいのに」と言う人が多いですが、僕には過労死や自殺するまで頑張り続けてしまう人の気持ちが理解できます。
あまりに忙しすぎると、セロトニンの分泌が低下し、うつ病に近い状態になってしまいます。なかには本当にうつ病になってしまう人もいます。その結果、思考停止に陥ってしまい、自分の置かれた状態を俯瞰で見られなくなってしまうんです。
だからといって、過労死したり自殺しても仕方ないとは思いません。
むしろ理解できるだけに、何とか救える方法を伝えたいと思ってます。
僕の場合は余命宣告を乗り越え生還するためには、病気になった根本的な原因を解決しなければいけないと思い、命がけで内観していきました。
それと同時に様々な書籍を読みあさりました。
その結果、頑張り過ぎてしまうのは潜在意識からの影響であることに気付きました。
この記事を読めば、あなたが頑張り過ぎでしまう根本原因を理解し、頑張らない生き方を選択できるようになります。
僕の頑張り過ぎ履歴
本題に入る前に、僕がいかに頑張り過ぎの人生を歩んできたかについてお話させていただきます。
抽象的な話をするより実体験を語った方が伝わるからです。しばらくお付き合いください。
僕は厳格な両親に育てられました。幼児期から事あるごと叩かれて躾けられていたのを覚えています。例えば食事中に食べ物を落としただけでも頭にゲンコツを落とされていました。
そのため一切わがままを言ったり駄々をこねたりしない世間的にいい子に育っていました。
思春期を含めて親に反抗したり意見した記憶はほとんどありません。
詳しくは後述しますが、このことが病気になった大きな原因となってしまいました。
僕は小学2年生から大学卒業までサッカーをずっとやっていました。それだけ長くやったのならサッカーがさぞ好きだったんだろうと思うでしょうが、思い返すとサッカーを楽しいと思ったことはほとんどありません。
サッカー部の仲間と一緒に過ごした楽しい時間はかけがえのないものですし、仲間とは一生涯の友になったので、サッカーをしていたこと自体は後悔していませんが、サッカー自体は好きではありませんでした。
そもそもサッカーを始めたのは自分の意志ではありませんでした。
僕は小学校2年生のときに転校したんですが、母が早く友達ができればと思ってサッカーチームに入団させたことがサッカーを始めたきっかけでした。
入団したサッカーチームが全国レベルの強豪チームだったので、練習が信じられないほどハードでした。真夏の炎天下の下、吐きながら走らされていたのをよく覚えています。そのおかげで一緒にサッカーをしていた仲間から4人箱根駅伝の選手が出たほどです。
毎日雨が降って練習が中止になることを祈って過ごしていました。
そんなに嫌なら辞めたらいいんですが、厳格な両親に対して辞めたいと意見する考えはなく、憂鬱な少年時代を過ごしていました。
小学生の時点で、人生とは辛いことに耐えることなんだと潜在意識にプログラミングされてしまいました。
それならば中学や高校でサッカー部に入らなければよかったのですが、他を選ぶ選択肢が浮かびませんでした。自分が好きなことや、本当にやりたいことが分からなくなっていました。考える能力が欠如してしまっていました。
今思うと、サッカー以外を選ぶことは親を裏切ることだと感じていたんだと思います。
そのくせ人一倍練習はしていました。
もっと頑張らなければ、もっと努力しなければと追い立てられていました。
これは厳格な褒めることをしない親に育てられた子供によく見られる承認欲求によるものだと考えられます。
「もっとがんばらないと認めてもらえない」
という潜在意識に刻み込まれたプログラミングによって、頑張るという行動をとらされ続けていました。
そのおかげで偏差値20から医学部に合格できたり、整形外科医として目指すレベルにまで到達できたので、承認欲求が一概に悪いとは言えませんが、どこかの時点で自己承認できるようにならないと、承認欲求の奴隷になってしまい心か体が壊れてしまいます。
目標としていた医師になり、目指す頂まで到達したにも関わらず、自信を持つことができず、「もっともっと頑張らねが」と追い立てられていました。幸いメンタルは強く育てられたので心を病むことはありませんでしたが、そのことが仇となって悪性腫瘍を育ててしまいました。
潜在意識のプログラミング
37歳で余命宣告され、初めて立ち止まって人生を振り返り、自問自答を繰り返したことで気付けたことがあります。
それは
運命のせいにしていた過酷な人生は、実は全て無意識に自分が選んで引き寄せていた
ということです。
厳格な両親に育てられたことで、僕の潜在意識にとっての普通は、厳しい人と一緒にいて辛い毎日を送ることだとプログラミンされてしまっていました。
潜在意識は変化を嫌います。動物にとって変化とは危険を意味するからです。
潜在意識はできるだけ同じ状況を維持するよう顕在意識に働きかけます。
その結果、はたからは過酷に思えて、止めればいいのにと思われる状況に、自ら身を置くようになってしまいます。
僕の半生を振り返っても、不思議なことになぜか怖い先輩に指導されることになったり、怖い上司の部下になったり、転勤で行く先々で忙しくなったり、自らさらに忙しい道を選んだりしてしまっていました。
辛い状況に身を置くたび「俺はこういう運命なんだ」と受け入れていました。
僕のこのような状況を心理学的に説明します。
エリクソンという心理学者が提唱した漸成的自我発達理論というものがあります。
簡単に説明すると、人の心の発達過程は8段階あるとする考えです。8段階のうち最初の1段階目が基本的信頼感です。
1歳半までの間に愛情深く育てられることで基本的信頼感が育まれます。
ところが何らかの理由で愛情深く育てられないと、基本的信頼感が欠如してしまいます。
その結果、自分自身を愛せない、ありのままの自分を受け入れられない状態になり、「何か特別なことをしなければ愛してもらえない」という考えが潜在意識にプログラミングされてしまいます。
人間の心理メカニズムとして、潜在意識にプログラミングされた信念の正しさを証明するような相手に引き寄せられてしまったり、そのような状況に自分を追い込んだりしてしまう傾向があります。
今思い返すと、怖い先輩や上司のとこと、顕在意識では恐怖の対象だと認識していたのに、心の奥では居心地の良さや安心を感じていました。
逆に怖い先輩や辛い状況に身を置かないと不安を覚えることに気付きました。
そのことに気付いたのは大学1年生の時です。
医学部のサッカー部だったので、進級試験で忙しくなる時期はオフになるシステムでした。人生において恐怖の対象が初めてなくなったのですが、思いもよらない心境になりました。
恐怖の対象がないことに不安を覚え、心が落ち着かなくなってしまったんです。
「こんなに何も嫌なことがないなんておかしい」
そう感じてしまっている自分に気付きました。
その頃はまだ若く知識も経験もなかったので、なぜそのような心境になったかまで深堀りできませんでしたが、今ならはっきりと潜在意識のプログラミンが影響していると分かります。
その後の人生で過酷な職場を自ら選び続けてしまったのも、潜在意識にとってその方が安心できたからです。
サッカー部で先輩に怒られるのも、医師となって働き始めてから怖い上司に怒られるのも、なぜか多かったのですが、無意識にそのような人たちに近付いて、自ら「怒ってオーラ」が出ていたんだと思います。怒られるのはもちろん嫌なんですが、心の中では「怒ってもらえている」と感じていたように思います。怒られることで深い心のつながりを感じていました。
両親とのコミュニケーション手段が怒られることだったために、
怒られる=愛情
と間違ったプログラミンを潜在意識で行ってしまったのです。
解決するには無意識を意識すること
潜在意識にプログラミンされた誤った価値観は書き換えることができます。
しかし容易なことではありません。
僕のように命を失いかけるようなギリギリの状況にならなければ、自分で気付くことは難しいです。
しかしあなたは幸運にも、すでに経験した僕のブログを読んでいます。
僕が命がけで知った解決法を教えるので、どうか人生をリセットしてください。
その解決法とは、
無意識を意識する
ことです。
今までお話してきたように僕たちは潜在意識に支配されています。潜在意識のプログラミングによって、思考や行動が決められています。
まずは潜在意識のプログラミングを知ることです。
自分は幼少期の親との関りが影響して、頑張り過ぎる選択を無意識にしてしまっているんだ。
ということを意識してください。
すると潜在意識によって頑張り過ぎそうになったとき、一旦立ち止まって考えられるようになってきます。
そこで
「いつもなら無意識に頑張ってしまうところだが、そのことを意識して分かっているから頑張らないぞ」
と思い直すことができます。
必ず頑張らないことを実行してください。
要領は癖を直すのと一緒だと思ってください。
癖も無意識に行ってしまっているので、指摘されるまでは気付きもしません。
しかし指摘され直そうと意識し始めると、徐々に直っていきます。
根気はいることですが、繰り返すことで考え方の癖を直すことはできます。
私は幼少期の影響で無意識に頑張り過ぎる癖がある。頑張らなくてもいい。頑張りそうになったり頑張らないようにする。
と紙に書いて目につくところに貼ったり、スマホの待ち受け画面に付箋アプリで貼ったりするのがおすすめです。
初めは頑張らないことに居心地の悪さを感じることでしょう。
しかし頑張らないことを新たな習慣にすれば、頑張らないことが居心地よくなってきます。
僕も年単位でかかりましたが、今は頑張らないことを居心地よく感じられるようになりました。
初めは無理をしてでもだらだら過ごすのも必要です。
頑張りそうになったら代わりにやることを決めておいてください。
子供のころに好きだったことや、やりたかったことに時間を費やすのがお勧めです。
僕は大人になってからは漫画やアニメを見なくなっていましたが、今は頑張りそうになったら見るようにしています。
予定表にだらだら過ごす時間を組み込んでしまうのも効果的です。
頑張らない時間を意識的に作っていきましょう。
人生は修行ではなく遊行(ゆぎょう)の場です。
楽しむために生まれてきたんです。
せっかくの人生、楽しんで幸せになりましょう!
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