希望が治癒をもたらす

はじめに

希望が命に関わると聞いて、あなたはどう感じますか?

「そんな非科学的な話、信じられない。」「スピリチュアル系の話でしょ。」と訝しげに感じるかもしれません。

しかし僕は医師として、余命1カ月から生還した患者として断言します。

希望は命に関わります!

今回は希望と命の関係について、実例をもとに解説していきます。

この記事を読めば、健康になったり治癒するのに希望がいかに重要かを知ることができます。病気に苦しんでいる人が治癒するきっかけになればと思い書かせていただきます。

希望によって末期の悪性腫瘍が消えた例

希望がいかに重要かを説明するのに最適な例があります。

心理学者ブルーノ・クロファーの患者だったライト氏は悪性腫瘍の末期でした。

体中に転移した腫瘍は肥大し手の施しようがない状態でした。

余命は1週間ほどだと考えられていましたが、最後に本人の強い希望で新薬の投与が決まりました。

その後驚くべきことが起こりました。

治療を開始する前から、寝たきりであえいでいたライト氏は元気を取り戻し、病棟内を歩き回り、会話を笑顔で楽しむようになっていました。検査をすると腫瘍の大きさは半分に縮小していました。

念のためにもう一度言います。

まだ治療は開始していないのにも関わらず、治療が決まったというだけで腫瘍が半分の大きさになったのです。

その後実際に治療が始まると治癒にいたりました

この話には続きがあります。

しばらくしてライト氏は、新薬で効果が認められなかった人が大勢いることを知ってしまいました。すると途端に元の悪性腫瘍末期の状態に逆戻りしてしまったのです。

主治医はライト氏に希望を与えるため、薬剤を含まない水を2倍の効力がある新薬だと説明し投与しました。

すると驚くべきことに一度目より著効し、腫瘍は姿を消し健康体になったのです。

このような現象はプラシーボ効果と呼ばれています。

プラシーボ効果とは薬物成分を含まないものを投与したにも関わらず、症状の改善を認める現象で、偽薬効果と訳されます。この際、患者さんは効果のある薬を投与されたと信じていることが条件です。プラシーボ効果は約30%の人に認めるとされています。

プラシーボ効果は、希望がいかに治癒に対し有効に働くかを証明しています。

プラシーボ効果があらわれるためには前提条件として、希望、信頼が必要です。その治療に対し希望をもち、治療者へ対する信頼があれば効果を認めやすくなります。

強制収容所で生き残るには希望が重要だった

精神科医ヴィクトール・E・フランクルが第二次世界大戦下アウシュビッツ強制収容所での体験、思索をまとめた『夜と霧』に次のような言葉があります。

「勇気と希望の喪失と、肉体の 免疫系状態のあいだに、どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、希望と勇気を失うことが どれほど致命的かということも熟知している。」

フランクルは強制収容所という人間としての尊厳を奪われ、死と隣り合わせの過酷な状況であっても希望を持つことはでき、希望を持ち続けることが生き残るためにいかに重要かを教えてくれています。

希望あるところに治癒あり

希望が治療効果や治癒過程に影響することは研究で証明されています。

希望を強く持っていれば治療効果が表れやすく、治癒力が高まります。

逆に希望を持てないと治療効果が表れにくく、治癒を遅らせることがわかっています。

患者さんが抱く希望レベルは治療過程で変化します。治療の初期では希望にあふれていますが、治療効果が思ったように現れないと希望が失われていきます。希望を失うと病状は一気に悪化します。希望レベルを高く保つことが重要です。

回復する見込みがあると感じれば希望は高まりますが、回復の見込みが少ないと感じると希望を失ってしまいます。

元々の性格もありますが、医療従事者や家族、友人など周囲の人々が、希望の持てるよう話をすることで希望レベルは上がります。

人は良くも悪くも周囲の人が発する言葉によって影響を受けてしまいます。

ちょっとした一言が人に希望を与えることもあれば、失望させることもあります。そのことを良く理解し、日頃から希望に溢れるような言葉を選んで発することが重要です。

他の記事でもお話しましたが、僕は余命1カ月と宣告された後、知り合いのアメリカ人医師から言われた「大丈夫!絶対治す方法はあるよ!!」という言葉に希望を与えられました。

その言葉を聞いた瞬間、魂というか生命そのものにスイッチが入るのを感じました希望によって生命力が覚醒した感覚でした。

あの時希望を与えられなかったら、今こうして記事を書いていることはなかったと思います。

残念ながら希望をもつことによってどんな病気も治るとは限りません。

それでも希望を失うよりも治る可能性は増えます。

もし治らなかったとしても、与えられた生を絶望ではなく希望に包まれ生き抜くことができます。

「無駄に希望を与えない方がいい」という人がいますが、無駄でもいいじゃないですか!絶望するよりよっぽどましです。

僕が希望を与えられたように、僕も希望を与え続けたいと思います。