はじめに
生きていると程度の差こそあれ悲劇的なことが起こるものです。
事故や事件、災害などの悲劇に巻き込まれてしまう可能性は誰にでもあります。
悲劇に見舞われたとき、絶望してしまう人がほとんどですが、喜劇に変えることができる人もいます。
悲劇に見舞われることは誰も避けることができません。コントロール不可能な部分です。
しかし悲劇に見舞われた状況をどうとらえるかはコントロールできます。
今回は悲劇を喜劇に変えるための考え方を実例を用いてお話したいと思います。
この記事を読めば、悲劇的状況に陥った際明るく前向きに生きる方法を知ることができます。
その結果、人生で何が起きても大丈夫と思えるようになります。
僕の経験
僕は37歳のときに末期の悪性腫瘍を患って余命1カ月と宣告されました。
一般的には悲劇と言える状況です。
しかし僕自身は余命宣告されても悲劇だとは感じませんでした。
激務のため心身ともに疲れ果てていたので「これでようやく休める」とホッとしました。
悲劇と思える状況であっても、人によって悲劇ではないのだということを実体験を通して知りました。
むしろ余命1カ月というレアな状況を、貴重な経験ができると楽しんでいる部分もありました。
悲劇を喜劇に変えるために、
- 余命宣告されて良かったこと
- 余命宣告されなかったら困ったこと
を10個以上書き出すことにしました。
どのような物事にも二面性があるので、どのような悲劇的状況であっても良い面を見つけられるものです。
余命1カ月と宣告された悲劇であっても10個以上書き出すことができました。
この二つの質問はどのような状況でも応用できます。
視点を変えるきっかけになるはずです。
ぜひお試しください。
またこの貴重な経験は僕に多くのものを与えてくれました。
家族や親族、友人のありがたみを知ることができましたし、病気になった人の気持ちを理解できるようになりました。心と病気の関係について知ることができましたし、怖いものがなくなりました。
奇跡的に寛解することができたことで、今では生まれ変わったように楽しい人生を送れるようになっています。
悲劇を喜劇に変えることができました。
感銘を受けた半身不随の患者さん
医師は患者さんから多くのことを学ばせてもらえます。
その中でも特に感銘を受けた患者さんのお話をさせていただきます。
その方は50代の男性で漁船の船長さんをされている方でした。
ゴールデンウイークの救急当番で出勤していた際、救急搬送されてきました。
お話を伺うと、知り合いの船の船底を潜水しながら清掃していたところ急に下半身が動かなくなったとのことでした。
検査の結果、潜水病による脊髄症状と診断しました。
潜水病とは、ダイビングなどの潜水を長時間行った後に浮上する際、血液中に溶け込んだ窒素が気泡化することで起こる病気です。気泡化した窒素が脊髄を栄養する血管を詰まらせてしまうと脊髄が死んでしまい麻痺が起こってしまいます。
この患者さんは、よく日に焼けた褐色の肌と仕事によって引き締まった肉体の持ち主で、典型的な海の男といった風貌でした。それ以上に印象的だったのは救急搬送されてきてからずっと素敵な笑顔を絶やさないところでした。
ちょっと想像してみてください。あなたが突然下半身の感覚がなくなって全く動かなくなったとして笑顔でいられるでしょうか。普通は不安と恐怖で狼狽してしまうものです。
さらに凄かったのが、病状を伝えて麻痺は治る可能性がほぼないと伝えても笑顔を崩さず爽やかに「分かりました!よろしくお願いしますね!!」とだけ答え、その後の入院中も常に明るく笑顔で過ごしていたのです。普通は絶望し言葉をなくしどん底まで落ち込み、人によっては自殺さえ考えるような状況にも関わらずです。
そればかりではありません。
病室に様子を見に行くといつも笑顔で
「きっと明日には良くなるでしょう!」
と前向きな発言をするばかりか、
「先生、しっかり休んでます?あまり無理しすぎちゃだめですよ!!」
とこちらを気遣うのです。
それも無理に前向きになろうとしたり笑顔を作っている感じではなく、ごく自然なんです。
ある日なぜこのような状況で笑顔で前向きでいれるのか聞いてみました。
すると次のよう語ってくれました。
「だってクヨクヨしてたってしょうがないでしょ!俺が落ち込んだら家族も船員も船底の掃除を頼んでくれた人も苦しめちゃうしね。それに麻痺が治らないって言ってもらった瞬間、車椅子で何ができるかなって考えてワクワクしちゃったんですよ!!」
まるで少年のように目を輝かせて語ってくれました。
さすが「板子一枚下は地獄」の世界で生きてきた船長だと心から感動しました。
「板子(いたご)一枚下は地獄」とは、舟の床板の下は、落ちたら生きて戻ることの難しい深くて恐ろしい海であることを指し、舟乗り稼業の危険なことをたとえた言葉です。
実際にこの方は人一倍リハビリテーションに励んでいました。
転勤してしまいその後の状況を知らなかったのですが、ひょんなことから近況を知ることになりました。
ある日妻がスーパーに買い物に行ったところ、凄い人に出会ったというのです。
一人で車椅子で買い物に来て車の乗り降りも独力でしている方を見かけたので「お手伝いしましょうか?」と声をかけたところ、爽やかな笑顔で「一人で何でもできるから大丈夫だよ!ありがとうね!!」と答え、自分で車を運転して颯爽と去っていったそうです。
「もしかして」と思って風貌を聞いたところ、間違いなく潜水病の患者さんでした。
僕もこの人のようになりたいと思いました。
この方との出会いがあったから、余命宣告されても辛い抗がん剤治療も笑顔でいらたんだと思います。
W.ミッチェルの例
アメリカの実業家でコロラド州議員でもあったW.ミッチェルの話も悲劇を喜劇に変えるヒントになると思います。
ミッチェルは27歳の時に車の炎上事故にあい全身の65%を火傷し生死の境をさまよいました。
4年後火傷から回復したミッチェルは航空機のパイロット免許を取得しようと訓練していましたが、なんと墜落事故を起こし下半身麻痺になってしまったのです。
しかしミッチェルは
「問題は何が起こるかではない。それにどう向き合うかだ」
とい信条を持ち、精力的に活動していくことになります。
コロラド州クレステッド・ビュッテ自治区の自治長となり鉱山開発から山を守ったり、実業家として成功し数千人もの雇用を生み出したり、コロラド州議員、環境保護運動家、自然保護活動家として活動したりといった具合です。
さらに驚くべきことは、墜落事故を経験したにも関わらず飛行機の操縦を趣味として楽しんでいるという事実です。
ミッチェルの言葉です。
「体が麻痺する前の私にはできることが1万あった。今は9千ある。
失った1千を嘆くこともできるが、
残された9千に全力投球することもできる。」
さいごに
人生には実に様々なことが起こります。
「なぜ?」と考えても答えは見つかりません。
僕はそれぞれに与えられた課題なんだと思います。
課題をクリア―すれば必ず成長します。
人生の目的が成長することだとすれば、課題は目的達成のために必要なものなんだと思います。
クリアーできない課題はありません。
どうせ課題に取り組むのであれば楽しく取り組んだ方が得です。
そのためには悲劇を喜劇に変えるマインドが必要です。
今回ご紹介したエピソードを参考に、悲劇を喜劇に変えるマインドを身に付けてください。
すると不思議なことが起こります。
何が起きても怖くないと思え、人生から悲劇が消えていきます。
その結果人生が楽しいものに変わっていきます。
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